数多ある小沢作品の原点、漫画家小沢さとるの原点
デビューにまつわるお話をお伺いしました。
―― 学生アルバイトとして手塚先生に会った小沢先生ですが、
その後の経緯をお聞かせいただけますか。
アルバイトのあと、手塚先生のところで働いていた
石川球太先生や
永島慎二先生が僕の家に遊びに来てね。
「一緒にやらないか」と誘ってくれたんだけど断っちゃった。
―― その時は、まだ漫画家になるつもりはなかったということですか。
はい。僕の父親は技術者でね、僕にも技術者になって
もらいたいという考えだった。そして「漫画家なんて
もってのほか!」という人でね。
だから漫画雑誌を買ってもらったことがなく、手塚先
生のことも何も知らなかったんだ。
―― そんな小沢先生が漫画の世界に入ったきっかけは何でしょう?
読みきりの依頼が来たんだよ。1ページ900円で48枚。
描きあげたら4万円以上だよね。当時の初任給が
7500〜9000円ぐらいの時代にだよ。
―― デビュー作でそんなにもらえるとはすごいですね!
まあ当時の漫画家は、折角原稿料をもらっても使う暇が
ないくらい忙しかったんだけどね。ともあれ、「じゃあ
描きましょう」となっても相変わらず僕は漫画を知らない。
そこで知り合いの編集者に
わちさんぺい先生を紹介してもらった。
▲「当時の少女漫画は大抵男性が描いていたんだよ」と先生談
―― 『ナガシマくん』のわち先生ですね。
マンガショップからも刊行しています。
部屋の真ん中で釣竿を持っている人でねぇ。
まあ僕にとっては師匠です。本人は、「私は弟子を持つ
立場じゃないから」と仰いましたが。いろいろと漫画の
ことを教えてもらいました。特に吹き出しの大きさ、
ネームの字数を特に意に介す様にとね。
28日間の「わち道場」の末、小沢先生は『ルミ死なないで』という 作品を描きあげました。以降デビュー期の小沢先生は、主に 少女漫画で活躍していきます。